1993年11月22日 神戸新聞    14/16         


阿藤久子コンサート
ゲストのルイス「節度の美」

スペインからホアキン・ルイスをゲスト
に招いて、「阿藤久子フラメンココンサ
ート'93」が新神戸オリエンタル劇場で
開かれた。スペインの国民詩人フェデ
リーコ・ガルシア・ロルカの戯曲に取材
したオリジナル作品「閉ざされた時間」
(ルイス作舞)を中心に、ソロと群舞を
織り交ぜての多彩なステージであった。
 「閉ざされた時間」はロルカの三大
悲劇の一つ「ペルナンダ・アルバの家」
を下敷きにしたフラメンコ舞踊だが、
明晰な知性とむしろ不条理な幻想性と
の両者を兼ね備えたこの不思議な詩
人の、特にその幻想的な側面に切り
込んだ舞台である。時流に乗ってオド
ロオドロしさを前面に出そうとすれば、
そのワナへ際限なく落ち込んでしまい
そうな危うい対象でもあったのだが、
ホアキン・ルイスは「節度ある美」を熟知
するダンサーのようである。


若くしてスペインを代表する舞踊家とまで言わ
れるに至ったこの人は、堅実なステップをベー
スに、その節度の美学を守り抜くため、瀬戸際
であえて動きを抑制さえするのである。
 たとえ華やかに見えようとも精神にとって美し
くない動きはしない、という強固な決意があるら
しい。それは民族の誇りへとつながる意思でも
あるのだろう。だがやがて内面の高まりが臨界
点へ近づいて、どうしようもなくその抑制を突き
崩す時がくる。流出?開花?飛しょう?内圧が
外圧を微妙に超える、ダンサーにとって最も美
しい瞬間である。とりわけ第二部の「ソレア・
ポルブレリアス」では、その鋭いひらめきを
ハッとするほど印象的に見せてくれた。
 さて一方の阿藤久子は、日本フラメンコ・
ダンサーの中では際立って知性を感じさせる
舞踊家である。フォルムをメリハリ正しく丁
寧につづっていくその舞台づくりにも、彼女の
性格が出ているようだが、それはスペインの
伝統芸術に対する敬意の表れでもあるだろ
うし、この舞踊を自身の存在理由(レゾン・
デートル)にしている舞踊家の自尊の反映
でもあるだろう。
 これは無論、彼女の重要な美質である。
だが、舞踊の真の力とは、実は理知を超え
る魔的な瞬間に現れるのではないだろうか。
 ルイスがあのように美しく突き抜けた「臨
界点」を、彼女にも超えてもらいたいので
ある。この端正な舞踊家にその魔の一瞬
が訪れる時、美神はもっと深く彼女を愛す
ることになるだろう。