さっき、阿藤と一緒に踊ったタンゴでは、この
うえなくダンディーな男であった。女の前に立つ
時には、こういう微妙な距離を取ってこそ美しい。
女の体に触れる時、手はまずピアニッシモでなく
てはならない。女の腕を取る時には、指は妖精
の物語を語っていなければならないのだ・・・。
その優雅さ。その繊細さ。その気品・・・。恋の要諦(てい)を彼ほど心得ている男は、ほかにい
ないように思えたものだ。だがいま、彼は孤独
であった。見えないパートナーとなって彼の前に
立っているのは、情熱的な女ではない。情熱を
言うならば、そこにいるのは女よりももっと情熱
的な死に神である。
男を最も美しい姿へと駆り立てて、その最高の
一瞬を襲おうと、入念に身構えている死に神なの
である。なんと、闘牛に似ていることか。 |
ところで、その場の女主人であった阿藤は、マ
ドリードから来たゲストのこの凄(せい)絶な決闘
をどんなふうに見たのであろうか。
むしろ彼女一人がその場からはみ出して、よそ
ごとを考えているような、ぼやんとした顔であ
った。だがそれは多分、舞台の「命」をまざまざ
と見たがゆえの、ぼう然自失だったのだ。それは
彼女がセギリージャスに向かって立った時、一
瞬にして理解された。
それほどまでに感情をこまやかに表現した
阿藤久子を見たことがない(日本の心だ!)。
闘いに疲れた男をわが胸に迎えようと、無上の
優しさに満ちていた。そんなにステップのくるぶし
がきれいに光る阿藤久子を見たことがない。男へ
集中することで、彼女の肉体からきょう雑な意
識が消えていた。そんなにバランスの美しい阿藤
久子を見たことがない。彼女はついに宇宙のリ
ズムで踊っていた。
マドリードから来た男はこの日、彼の命がけの
ダンスによって、神戸に一人のすばらしい女性
舞踊家を誕生させた。 (山) |