1992年11月4日 讀賣新聞      12/16        


  

 優しいギターの調べと乾いたカスタネットの音。花柄
のロングドレスをまとった小柄な体が舞い始めた。
神戸市中央区のタブラオ「ロス・ヒターノス」。板張りの
ステージを赤いシューズが小刻みにたたく。「踊る私
は打楽器」。 神奈川県厚木市出身。フラメンコとの
出会いは大学2年の春だった。初めて訪ねたスペイン
で「一生踊りつづけるだろう」と直感した。4歳から打ち
込んでいたモダンバレエが曲線ならフラメンコは縦の
動き。体全体が音楽を生み出すし、自分のすべてがさ
らけ出されるようで、それが魅力に感じた。

 「役柄になりきれるバレエとは根本的に違う。どんな
私が表現されるかって。それは見ている人に自由に
感じてもらうものだと思う」。大学卒業後、南スペイン
のセビリアで1年間の修業。食べることも忘れて踊っ
た。25歳でプロデビューし神戸へ。週2回のステージ
本場から踊り手を招いての全国公演。フラメンコ教室
の生徒は100人を超えた。文化の橋渡しをしていると
思うと楽しくなる。

 「スペイン人が踊りのパートナーに日本人を選ぶ時
代が来るはず。世界に通用する踊り手が出てきてほ
しい。そのためには底辺を広げたい」。額にキラリと
光る汗。大きなひとみも輝いた。

 踊りのテンポとは対照的なソフトな語り口。料理を
作り部屋を掃除するのがストレスの解消法だという。
「のんびり散歩して冒険小説を読みふける。またふら
りとスペインに出かけてそんな自由な時間を過ごし
たい」。南国の太陽が恋しそうだった。